はじめまして、こんにちは、レグです。そこらの政令指定都市駅構内に100人はいるであろう、90年生まれ34歳/子供2人/持ち家あり(フルローン)….THE 普通のサラリーマンです。
このブログでは、自分が実践してるお金(資産)の増やし方を紹介しています。
そもそも自分みたいなお金がない一般庶民が少しでもお金(資産)を増やす方法は、NISA、仮想通貨、楽天ポイント….etc…を使ってどうにかするしかないんですよ。。。とまあそんな感じのスタンスで資産運用してます。
このページでは、プロフィールがてら自分の職歴まとめたものなので、興味ある方は見ていただけたらと思います。
高卒→【個人】浪人ニート&転売ヤー→【起業】ITベンチャー→【就職】雑貨・アパレル→【転職1回目】雑貨・ステーショナリー→【転職2回目】EC担当&イベント運営→【転職3回目】ECコンサル・運用代行
浪人ニート&転売ヤー(2009.10〜2012.3)
高校卒業後、19歳~22歳まで実家でニート生活を送っていました。高校卒業後、某大手予備校で浪人生活をしていたのですが、1浪のとき志望校に合格できず、2浪へ突入したとき、本当にやりたいことは何なのか、自問自答を繰り返す日々を送っていまして、3回目のセンター試験前に泣きながら親に大学受験はもうしないと告げ、受験から全力で逃げました。
22歳で社会へ出ることになるのですが、そのとき叔母からこのニート期間中は「モラトリアム」な時間を過ごしたいい機会だったね、と言われたのがすごく今でも記憶に残っています。
心理社会的モラトリアム :学生など社会に出て一人前の人間となるのを猶予されている状態を指す。心理学者エリク・H・エリクソンによって心理学に導入された概念。本来は、大人になるために必要であって、社会的にも認められた猶予期間を指す。大人への猶予期間、つまり社会に出ることを先延ばしして一時の自由に浸ることのできる期間という意味となった。
【引用元】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0
何もしてなかったニート期間中は、新聞や好きな本を読んだり、ネットニュースみたり、SNS触ったり、転売したり、犬の散歩で外に出たり….もはやリタイアした老後みたいな生活でしたが、自分を見つめ直すいいキッカケになりました。そもそもニートってやりたくても(好んでやる人はいないですが)できないんですよね、、本当に温かく見守って親に感謝しかないです。
バイトもせずカジュアル引きこもり生活を送っていたものの、一応古物商とってパソコン一台で転売してました。2010年前後はまだメルカリなんてなく、ビッターズ、モバオク、ブックオフ、骨董市から安く仕入れて、ヤフオクで売ることで小銭を稼いでいました。安く売って高く売る、商売の基本ですが、ニート生活も転売してたので楽しかったです笑
【起業】ITベンチャー創業(2012.4〜2012.12)
社会に出るキッカケになったのが22歳のときでして、ネットで出会った仲間5人と一緒に起業しました。ITベンチャーだったのですが、バイトもしてこなかったニートの自分がまさかの代表取締役社長になってしまいました。ここで誤解してほしくないのは、プログラミングができたわけでもないし、デザインもできない、パソコンはスムーズに使える能力しかないそこらへんにいるただの若者でした。起業経験ある方ならわかると思いますが、会社つくることは大した話ではないので、誰でも会社の社長になれます。すごい能力とか一切ない僕がニートから社長になったので笑。
起業したのが2012年だったんですけど、このときITベンチャー起業ブーム(たぶん)で、家入さんに憧れて会社つくりたいなと漠然に思ったのがキッカケでした。起業する前まではよくIT系のニュースをよく読んだりしていて、それこそサイバーエージェント藤田さん、ライブドア堀江さん、尊敬する家入さんの本(2002年〜2012年頃)とかよく読んでました。不思議とみなさんの本を読んでると、こんな高卒ニートの自分でも会社つくって何かできるんじゃないかと、前向きな気持ちになれるんですよね。だけど一人じゃなにもできないし、どうやって起業しようかと思っていたときに、Twitterで家入さんがこのツイートをリツイートした人の中から3人選んで、その人と共同創業する(会社を3社つくる)という企画をやってました。
【2000RT企画】家入エイプリルフール企画:ツイートして起業しよう!(ガチ) #hbkr http://post.ly/6QFSr @hbkrより
https://ieiri.net/blog/archives/4
16,000リツイートもされたので、リツイートした人が専用フォームから応募、Ustreamだったか、ニコ生だったか、で抽選会が開催されて家入さんがたしかルーレットまわしてランダムで選んでいた気がします、懐かしい。てかユーストとか懐かしすぎますね。結局その企画では落選しました。が、そのあとFacebookに「イエイリ春の起業祭り2012〜負け組の会〜」というFBグループに落選した人(=負け組)集まって謎のコミュニティができました。そこに自分も投稿して、起業に興味ある人だけ集めて非公開グループ上でやりとりして、実際に会った人たちと共同創業しました。その後、ちゃんと会社つくって、いくつかWEBサービスを公開したり、家入さんに会いに行ったり、、となかなか濃い数ヶ月でした。
人生で1番辛かった時期といえば、この起業してたときでした。0→1はできても、1→100にしていく苦しみは起業しないと味わえない世界です。お金についてもなんか色々と考えさせられました。。一応会社をつくった以上は自社WEBサービスをマネタイズして稼がないといけないけど、そもそもバイトもしたことないニートだったので、どうやって組織をまとめようか、資金調達しようか、など答えがない世界から抜け出せず、新しいWEBサービスつくるタイミングで代表を辞任しました。
特に起業となると家族できてからは難しいので、20代で会社つくってみることをおすすめします。まったく1円も稼げなくてもいいと思っていて、決まった日に当たり前のように給料が振り込まれることがないので、その当たり前がものすごく有り難いことなんだなと実感します。※すごく極端な話をします。例外ももちろんあります、という前置きしておきます。
ブラック企業経営者のことを馬鹿にしたり、給料上げろ、と文句ばかり言う人がいますが、悔しかったら会社つくって同じことやってみると良いと思います。給料を払う側と貰う側、どちらも経験しておくと、決まった日に給料が支払われる有り難みがよくわかるようになります。起業は失敗しても成功しても学べることがたくさんあるのでおすすめです。
【就職】雑貨・アパレルの会社(2013.1〜2016.6)
雑貨・アパレルを取り扱う会社に販売員として入社。駅中にある某商業施設内にあるお店に配属されました。バイトすること自体がはじめてで、接客の基礎を教えてもらい、色々と学ばせて頂きました。
【転職1回目】雑貨・ステーショナリー業界へ(2016.10〜2019.9)
ステーショナリー・雑貨のお店に販売員として入社しました。1日の客数が多い店舗だったので、接客で声がけは最低限、品出しやディスプレイ、POP作りがメインでした。メンズセレクトショップだったので、自分が好きなブランドも多く、学べることがたくさんありました。契約社員→正社員とステップアップし、目指していた店長やバイヤーもやらせてもらい、自分がセレクトショップでやりたかったことはすべて出来ました。
やりがいはあったものの、取扱商品の95%が仕入れだったため、利幅があるオリジナル商品がほとんどなく、売っても売っても利益が出せず、給料が上がらない、ボーナスが低い、会社としても成長が見込めない。娘が生まれて家族が増えたことで、給料アップ、子供のことで休みやすい環境求めて、2回目の転職へ。
【転職2回目】ネクタイ業界へ(2019.10〜2024.5)
入社1年目。全員社員かつ少人数で回す店舗に配属され、入社3ヶ月後に店長をやってました。予算達成しなくてもやることやっていれば怒られることもなく、前職では考えられない環境だったので、気持ちに余裕をもって仕事することができました。
入社2年目。通販部門に異動することになりました。子供も小さかったので、看護休暇で休むこともしばしば。店舗シフトではなくなったことで、休める環境に異動できたのが1番よかった点です。html、cssを触るキッカケにもなり、様々な販売チャネルの管理画面ログインしまくりました。めちゃくちゃ大変でした。。
入社3年目。転籍で部署異動しました。自社イベントの営業・企画・運用・仕入れ担当をしてました。仕事相手が法人とのやりとりがメインなので、平日勤務、土日祝休み、リモートワークも自由。子供二人いての共働きだったので、とても助かった部分はありますが、組織課題・事業課題がなかなか改善されず3回目の転職へ。
【転職3回目】EC運用代行・コンサル業界へ(2024.5〜)
基本給上げるには転職するしかない、そんな状況からビスリーチに登録→とんとん拍子に転職先を見つけまして、年収は400万円→500万円にアップしました。